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Posted by ミリタリーブログ  at 

2015年11月15日

第八回 フィールド「エリアF」


こんばんわ。くまけんです。

マルイのM4GBBが遂に発売されたと、聞きまして。
あぁこれでGBBユーザーがまた増えるなぁと、感慨深げな私。
そういやあWAのM4GBBが出た時も、相当話題になりました。

マルイのGBBなら導入コストも低いだろうし、予備マガジンなんかも多く揃えれそうだ。
一定数が売れたらシリーズ化するだろうし。

そうなれば次回作は何卒89式小銃でお願いします、マルイ様。
いや斜め上をいって、64式小銃のGBB化をお願いします。無理か。


さて、前回の続き。
フィールド難民と化していたDesertFoxが安住の地を求めて彷徨っていたところ
たどり着いたのが兵庫県神崎郡福崎町のエリアF
チーム「スリーピングシープ」さんが管理していまして
なんとも幸運ながら、毎月第三日曜日をお借りする事が出来ました。

広さは一万坪越。
中国道・播但道の福崎ICから車で10分程度の好立地です。
営業ベースでは無いので、管理チームはほぼボランティアでしたが
廃棄車両を設置したり、セーフティに屋根を設置したりと、精力的に動いてらっしゃいました。



稼働当初はオープンセーフティでしたが、管理メンバーが自腹で設置した「屋根」。
お陰で少々の小雨でもゲーム出来ました。






夜戦用に照明も付きました。電気は発電機で賄ってます。
当時、関西にここまでの規模のセーフティがあっただろうか。



平坦地と丘、塹壕と急坂で構成されるフィールド。
起伏が激しく、高低差もあります。ブッシュは少なめなので障害物や塹壕を利用します。



四輪駆動車の競技練習場だった事もあって、人工的に山の斜面が抉られています。



浅い谷などもありました。
ブッシュは少ないものの、スナイパーにとっては充分利用できるもの。



積載用の木製パレットなんかも組み合わせて障害物に。



廃車になったトラックなんかも障害物になりました。
現在のあちこちのフィールドでもお馴染みですね。



コンパネで組んだ小屋なんかも設置してありました。
なにせ管理チームメンバーに大工さんが居た為、少々のものなら作っちゃう。


塹壕もあります。
今考えたら安全上どうなの?って深さの塹壕もあったんですが、好きな人は潜りますね。



管理チーム「スリーピングシープ」のリーダー、CAP氏。
私よりも年上ながら驚異の身体能力で、今でも隙を突かねば倒せません。
主に近距離に強い方。



「スリーピングシープ」のメンバーにして、私との長い付き合いのユージ氏。
狙撃担当で長距離に強い方。


「スリーピングシープ」のメンバー、シン氏。
この人も狙撃担当。中・長距離に強い方。
顔は怖いけど良い人。私の先輩だったりします。



「スリーピングシープ」の弄られ担当、ハマーン氏。
愛されキャラでみんなに弄られてます。

あと御一方を加えた5名でエリアFを管理・運営されてましたが
訳有って2010年にフィールド閉鎖となりました。
なかなかあそこまで出来たフィールドは無かったので、ほんと残念です。

続く


























  

Posted by くまけん  at 23:31Comments(0)サバゲ回顧録

2015年11月11日

第七回 チーム活動開始


チームメンバー3名で活動を開始したDesert Foxですが
三人とも交代勤務者であった為、休日が合わず、ゲームができない状況が続いていました。

そこで、Armsマガジンに継続的に「メンバー/対戦チーム募集」の葉書を出すと共に
パソコンを導入。
チームのホームページ作成を始めました。

Armsマガジンのお陰で、現在はTeamスリーピングシープのゆーじ氏とのお付き合いが始まり

Web繋がりでは
チームBATさま(滋賀)
チームP・Tさま(神戸)
仮称U機甲師団さま(明石)
などのチームさんとお知り合いになりました。

チームメンバーも徐々に増え始めて、次に問題になるのがフィールド。


大阪には住之江にBBGUN
京都には京田辺にROCK
奈良には香芝にエバーグリーンフィールドなど、有名所がありましたが
当時の兵庫県には有料フィールドは皆無でした。


暫くは野良チームとして、ショップチームさんが使用しているフィールドで活動していましたが
兵庫県初のインドアフィールドが2003年ごろに開業し、遊びに行った記録がこちら。

インドアフィールド ソロモン

この後、京都のエピングフォレストさん
神戸市の魚崎に在ったダスクショットさんなどにも遠征に行ってました。


しかし基本は野良チーム。
そこそこメンバーが増えて、運営が安定した2006年。
兵庫福崎「エリアF」
Team スリーピングシープさまの手で運用開始されます。


続く





  

Posted by くまけん  at 23:27Comments(0)サバゲ回顧録

2015年11月08日

第六回 Desert Fox結成


サバゲにはいい季節になりましたが、今日は生憎の雨。
くまけんです。

月末29日は加古川CQBでの通常戦に参加する予定ですが
セーフテイに屋根があるとはいえ、できれば好天が良いなぁ。
近接戦闘自体、二年ぶりだしボッコボコにやられそうな予感。
家の中でハンドガン持って、クリアリングの練習しようっと。

さてサバゲ回顧録第六回目。

初ゲームを経験して反省したことは
①周り見なさ過ぎ
②前に出過ぎ
③火力なさ過ぎ

の以上三点。
前の二つは気を付けておけば、何とかなるレベル。
最後の一つは装備変更で対応です。

このときのメインウェポンはマルイのパイソン4in。
云わずと知れた装弾数24発のガスガンでリボルバータイプとしては驚異の火力ですが
電動ガン相手に、真正面から挑むのは流石に無理。
リロードするのも時間掛かるし、ガス圧も不安定この上ない。

で、中古で購入したのがマルイのステアーAUG。


プルバップライフルで全長の割には長いインナーバレル。
高い剛性と命中精度。
消音加工がしやすいメカボックス周り。
装弾数が330発と大容量の多弾数マガジンと良いところ多し。
サイズよりも重い重量で、手にもって走り回るのは少しキツいのが珠にキズ。



さて装備変更して数回ショップゲームに参加すると
やはり自チームを組んでゲームしたくなるのがゲーマーのサガのようで
今みたいにWebが発達してない時代なんで、Armsマガジンの
「メンバー募集」のコーナーに葉書(!)を出して募集。

1997年/7月からメンバー数3名で「Desert Fox」が始動しました。
  

Posted by くまけん  at 23:32Comments(0)サバゲ回顧録

2015年11月06日

第五回 退職、そしてサバゲデビュー


どーも。
だいぶ日が開いてしまいました。くまけんです。

実は自衛隊に入って二年半。1998年の9月末で退職してます。
理由はいろいろあったんですが
いうなれば「ケツを割った」って事です。
まぁ詳しくは私自身に直に聞いてください。

さて退職したくまけんですが、一般企業に再就職していっちょまえに結婚。
1999年からサバゲにのめり込みます。

きっかけは本屋で手に取った「アームズマガジン」だったと思いますが好奇心を強烈に刺激されまして
近所にあった、サバゲ専門店の開催する定例戦に参加したのが始まりです。



初めて買ったエアガンはやはりというか、マルイのコルトパイソン。
シティハンターの影響は意外に大きく、新製品を即買いしました。

初ゲームの印象は今となっては余り覚えていませんが、迂闊に前に出てハチの巣になったような。
なにせ動き方自体はド素人なんで、いい的だったと思います。

これを契機に「Team Desert Fox」が徐々に形作られていきますが、詳しくは次の機会に。


  

Posted by くまけん  at 22:23Comments(0)サバゲ回顧録

2015年11月01日

第四回 部隊勤務


こんばんわ。

先日のサバゲで「回顧録読んでますよ。」って言われて、嬉しかったくまけんです。
いやー、こんな記事需要有るのかよって思ってましたけど、ほんと嬉しいですね。
すこし頑張る気が出てきました。有難う御座います。

さて新隊員教育を前期・後期併せて約半年を終えて、部隊配置になります。
私が配属されたのは、某特科大隊・本部管理中隊の衛生班。

特科ってのは155mm半自走榴弾砲FH70を使用する、戦闘職種。
前線で戦闘する訳じゃないからか、衛生班も人数が少なく
班長と私の二名で一個大隊の衛生管理をしていくわけです。

ただ、入ったばかりのぺーぺーに出来る事なんざ知れてますんで
暫くは、本部管理中隊の訓練陸曹の元、指示されてお仕事に付きます。

例えば
〇大隊長のお茶くみ
〇駐屯地糧食班への三か月の出向
〇駐屯地警衛任務
〇駐屯地風呂当番
〇大隊の長距離走選手として合宿
〇銃剣道選手として合宿
〇大型自動車運転免許取得の為の教習所入所
まぁこんな感じ。

勿論、東富士演習場での実弾射撃演習にも付いていきます。

演習場では寝泊まりする天幕を張ったり、
中隊に支給されるご飯を、先輩と一緒に配ったりと大忙し。
衛生班の仕事としては、設営された仮設トイレに消毒剤を放り込んだりします。
ド派手な射撃演習なんかはほとんど見れず、後方待機が主でした。

あとは状況に入る前に個人用塹壕を掘ったり、埋めたり。
状況下では三時間交代でタコ壺に入って歩哨任務につきましたが
これが眠いし、寒いし、雨が降ってくるしで大変。
演習とはいえ馬鹿には出来ません。

部隊勤務中は二回の災害派遣も経験しました。

一度は近在の山火事への派遣。
消火活動自体は消防や自衛隊のヘリがほぼほぼやってくれてるんですが
燃え跡に残って燻ってる小さな火を消すのは地上部隊のお仕事。
こまめに水を掛けて消していきます。

二度目は、日本海で座礁したタンカーから流出した重油を砂浜で回収するお仕事。
私自身は、回収任務に従事している隊員の食事を作る「臨時糧食班」に出向。
地元の公民館を根城にして活動していました。
通算二週間の派遣を終えて、最後の日に城崎温泉を堪能したのがいい思い出です。

続く

  

Posted by くまけん  at 21:56Comments(2)サバゲ回顧録

2015年10月24日

第三回 教育隊


社会人編


こんばんわ。くまけんです。
本日はサバゲ回顧録三回目

高校卒業後、一年間のフリーター生活を経て陸曹候補士 二等陸士として自衛隊に入隊。
別にミリタリー好きが高じてとかではなく、就職先として真面目に考えた結果でした。
ま、父親が元自衛官であったと云うことにも影響は受けてますが。

前期教育

自衛官としての基礎的な訓練と体力錬成が主でした。
掩蔽壕の作成や、小銃擲弾の発射訓練、偽装の仕方、索敵の仕方など
なかなか一般社会では学べない事が多く、ほんと勉強になりました。

もちろん初歩的な戦闘訓練や実弾射撃も行いますが、実はこれが苦手でして。
射撃スキルは下から数えたほうが早く、戦闘訓練に至っては下の下でした。
それが今は嬉々としてサバイバルゲームをしてるんですから、人間って解らないものですね。

とはいえ、そんな成績ですので、職種希望していた普通科は通らず
何故か衛生科に決まってしまいました。
よって後期教育は衛生隊です。

後期教育

衛生科っていうのは所謂「メディック」です。
前線で走り回って、応急処置をしてから負傷者を後送するってのが一般的なイメージ。
64式小銃の代わりに担架を抱えてのハイポートはきつかったなぁ。

また座学の時間も比較的多い上に、体力錬成も行うのでちょっと大変。
ただ衛生教育隊など後方支援の部隊には、WAC(女性自衛官)も多かったので華やかでした。

続く

  

Posted by くまけん  at 00:09Comments(0)サバゲ回顧録

2015年10月21日

第二回 学生時代 後半


こんばんわ。くまけんです。回顧録二日目になります。

学生時代

中学時代に早々にエアガン熱が冷めた、くまけん少年ですが・・・
実は高校生になってから「TRPG(テーブルトークRPG)」にハマってしまいましたface03
これはゲームマスターと呼ばれる運営さんの進行の元、複数のプレイヤーが冒険をするっていう
今で云う「MMO RPG」の走りですね。

地元の公民館を借りて、ゲームイベントを定期的に行ってましたが
まさか数年後サバイバルゲームの企画や運営をするとは露知らず。
分野は違っても、そう云うのは元々好きだったんだなぁ。

ちなみに、この頃が俗にいう「パワー主義のエアガン暗黒時代」だったんだと思いますが
なにせ興味がさっぱり無かったため、ここら辺の知識は有りません(笑)
ですから、BV式のトイガン絡みの話にはついていけなかったりします。ご了承ください。






  

Posted by くまけん  at 23:09Comments(2)サバゲ回顧録

2015年10月19日

第一回 学生時代前半


こんばんわ。くまけんです。
メンバー紹介を一日一回更新してきましたが、撮影したネタが切れてしまったので
続きは次のゲーム日以降に行います。
考えてみれば全員写真撮ってないわ。はよせな。

で、ネタが途切れたので短期集中ではありますが、私自身の「サバゲ回顧録」でも。
ゲームの立ち回りは下手糞ですが、ゲーム歴だけは無駄に長いので
備忘録も兼ねて、徒然と津々っていきます。

ま、正直そんなに面白いものでもない(爆)ので、興味がある方だけどーぞ。

少年時代

かれこれ30年近く前になりますが
当時「週刊少年ジャンプ」で、北条司先生の「City Hunter」って漫画が連載されてました。
中学生だった私は、主人公の持ってたリボルバー(コルトパイソン 4in)が欲しくてですね。



(写真はクラウンのパイソン4in)

何処のメーカーか忘れましたが「作るエアガンシリーズ」でラインナップされてた
エアコッキング コルトパイソンを親に内緒で購入しまして(良い子はマネしちゃだめ)
部屋撃ちしておりました。

コッキングしたハンマースプリングでピストンを圧縮し、引鉄で開放して発射するシステムでしたが
当時の子供の作業レベルで気密が取れてるわけがなく、飛距離は5mほど。
勿論ホップアップ機構なんて無かったので、おじぎ弾道です。
同時期に出ていた東京マルイの10禁ベレッタ(割りばし型マガジン)の方がよく飛んでました。

結局、母親に見つかって取り上げられるオチがつき、暫くは沈静化。
しかし熱がこのまま冷める訳もなく、懲りずに内緒で買ったのがKHCのウィングマスター



たぶんおもちゃ屋さんで4000円位だったと思いますが、ストックが付いた大振りなショットガンに
凄く興奮した覚えがあります。
コッキングも軽く速射でき、非常に楽しめた一丁だったのですが、これまた母親にバレてしまい
取り上げられた上に、粗大ごみで捨てられる始末。

くまけん少年のエアガン熱はこれで急速冷却されてしまい
その後10年近くエアガンに触ることは無くなってしまいました。

続く





  

Posted by くまけん  at 23:56Comments(0)サバゲ回顧録