スポンサーサイト
2018年06月05日
播磨 端谷城址
★播磨 端谷城址★
●所在地●
神戸市西区櫨谷町
●アクセス●
神戸市バス「寺谷」バス停下車、徒歩五分。
「満福寺」奥。
●歴史●
赤松氏一族の衣笠氏が築城。
天正六年から始まった、羽柴秀吉の三木城攻めに抗ったため落城。
●訪城記●

満福寺参道入り口に建つ、城址碑。

城址の南曲輪に建つ満福寺。

満福寺裏に有る、堀切。
かなり深いものでした。

一段高くなった場所が本丸。
更に西側に櫓台様の高みがあります。

奥に見える高まりが、櫓台跡。

二の丸南側を望む。
かなり広い曲輪になっています。

二の丸から見た、櫨谷の集落。
雑木が多くて少し展望は良くないかも。

現地にあった説明板。

概略図
本城を中心に、周囲に支城がいくつかあり、連携して守備をしていたようです。
●所在地●
神戸市西区櫨谷町
●アクセス●
神戸市バス「寺谷」バス停下車、徒歩五分。
「満福寺」奥。
●歴史●
赤松氏一族の衣笠氏が築城。
天正六年から始まった、羽柴秀吉の三木城攻めに抗ったため落城。
●訪城記●
満福寺参道入り口に建つ、城址碑。
城址の南曲輪に建つ満福寺。
満福寺裏に有る、堀切。
かなり深いものでした。
一段高くなった場所が本丸。
更に西側に櫓台様の高みがあります。
奥に見える高まりが、櫓台跡。
二の丸南側を望む。
かなり広い曲輪になっています。
二の丸から見た、櫨谷の集落。
雑木が多くて少し展望は良くないかも。
現地にあった説明板。

概略図
本城を中心に、周囲に支城がいくつかあり、連携して守備をしていたようです。
2018年06月04日
播磨 淡河城址
★播磨 淡河城址★
●所在地●
神戸市北区淡河町淡河
●アクセス●
道の駅淡河から徒歩すぐ
●歴史●
地元の豪族である淡河氏が築城。
羽柴秀吉の三木城攻めに別所氏と共に抗して、淡河氏は滅亡。
のち三木城攻めに戦功のあった有馬氏が城主になる。
●訪城記●
2017年2月に訪城。
道の駅淡河に駐車して、散策。
すぐ南側の高台に「淡河城址」の看板と見張り櫓のような建物が見えます。

橋を渡って軽い九十九折りの坂道を上ります。


本丸とされる畑から、見張り櫓を望む。
右手の切岸は天守台のもの。

天守台に登る階段。

天守台にある城址碑。

天守台には稲荷神社があり、拝殿には写真や城址図があります。

天守台東側にある空堀。
綺麗に残っています。

空堀底から撮影。
かなり深いのが分かります。

簡略化した城址図。ま、こんな感じです。
残っている史蹟は少ないですが、往時はかなり広い城域だったと思われます。

●所在地●
神戸市北区淡河町淡河
●アクセス●
道の駅淡河から徒歩すぐ
●歴史●
地元の豪族である淡河氏が築城。
羽柴秀吉の三木城攻めに別所氏と共に抗して、淡河氏は滅亡。
のち三木城攻めに戦功のあった有馬氏が城主になる。
●訪城記●
2017年2月に訪城。
道の駅淡河に駐車して、散策。
すぐ南側の高台に「淡河城址」の看板と見張り櫓のような建物が見えます。

橋を渡って軽い九十九折りの坂道を上ります。


本丸とされる畑から、見張り櫓を望む。
右手の切岸は天守台のもの。

天守台に登る階段。

天守台にある城址碑。

天守台には稲荷神社があり、拝殿には写真や城址図があります。

天守台東側にある空堀。
綺麗に残っています。

空堀底から撮影。
かなり深いのが分かります。

簡略化した城址図。ま、こんな感じです。
残っている史蹟は少ないですが、往時はかなり広い城域だったと思われます。

2017年10月14日
播磨 感状山城②
体調不良の為、大分間が空いてしまいましたが「感状山城」のレポの続き。
40代を越えると只の風邪も侮れませんな。
取り敢えず、もう一度概略図をUP。

登城路をロストして、南曲輪群の最下端に到達した私。

南曲輪群の最高所に到達。
北に向けて削平地が伸びています。

相生市矢野の集落を望む。
曇ってたので瀬戸内海は綺麗に見えず。

北Ⅱ曲輪から主郭方向を見る。
手前の石積みは区域分けの為のものなんだろうか?


主郭に到達。
物見櫓なんかもあったかもしれませんね。


主郭の東側にある「北曲輪群」
階段状の曲輪が都合四段あります。
下から見たら結構な高低差です。

北曲輪群から主郭を経由して南曲輪群を下り、Ⅲ曲輪群に到達。
振り返ると、やはり結構な高低差。
この山は意外に歩かされる。


Ⅲ曲輪群から出曲輪と呼ばれる削平地を望む。
ここから城の西側を防御出来るようです。

出曲輪を支える石垣。
400年以上経っても残ってます。

大手門跡まで下って来ました。
石が多い城ですが、元々は赤松氏が築城した土の城だったようです。
後に、宇喜多氏が領有して改築したとか、龍野赤松氏が支配したなど説があるようです。
秀吉の播磨攻めで落城したとも伝わってますが、実のところ不明。
ロマンがありますねぇ。


最後に「物見岩」まで廻って来ました。
雑木の為、展望は全くないものの往時は良い見晴らしだったのかも。
次は同じく相生市の下土井城跡をレポートします。
ではまた。
2017年10月09日
播磨 感状山城 ①
二週間ほど前の金曜日、会社が休みだったので
前々から行きたかった相生市の「感状山城」へ行って来ました。
朝7:00に家を出発。原付でR2からR179経由で、たつの市へ。
そこから県道5号線を西進。約一時間で国史跡「感状山城」入り口に到着しました。
9月の下旬でしたが、原付での早朝移動は寒いw 今度から防寒具は持って行こう。

感状山城の登城口がある、羅漢渓谷の入り口。
朝早いので誰もいません。

感状山城登山口。
模擬木製階段が続いています。
整備されているので、歩きやすい。

登城口から10分ほどで分岐点。
「物見岩」と「大手門」で悩みますが、正規ルートは「大手門」だろうと考えて進みます。
これが後々大変な事に。

大手門ルートをてくてく歩きます。
足元はやや不安ですが、滑ることはなく。
頭上の蜘蛛の巣にだけ気を付けておけば大丈夫。

往時は石畳だった道だったのか、石が多くガレた道に変化。
足元が危なっかしい為、注意が少々それて道をロストしたのに気付いたのは暫く経ってから。

蜘蛛の巣に引っかかり、斜面をずり落ち、高みを目指して直登をして20分。
石垣のようなものを発見して、歓喜の絶頂。
ここはいったい何処だ?

ご丁寧にも石段も組まれています。
城域に入ったのは間違いない。

壮大な石垣。
リアルに息を呑みました。
どうやら迷いに迷って、南曲輪群の最下部に到達したようです。

恒例のパンフレットから概略図を作成したもの。
あくまで「概略図」なんで、参考程度でお願いします。
大手門を目指した私ですが、道を間違えて(黒色の線)南曲輪群に到達した模様。
この後Ⅰ曲輪を目指す訳ですが、次回に続く。
2017年07月03日
播磨 鶏籠山城&龍野城
こんばんわ。くまけんです。
不定期にUPしてる「訪城記」、今回はたつの市にある「鶏籠山城」と「龍野城」です。
「鶏籠山城」は置塩赤松氏から分かれた龍野赤松氏が居城。
四代にわたってこの地域を支配していましたが、
天正五年(1577年)四代赤松広英の時に、播磨に侵攻してきた羽柴秀吉に下っています。

龍野橋から見る、鶏籠山。

近世龍野城に到着。昭和に入ってから復元された「埋め門」。

「埋め門」を裏から。攻められても弓矢で打ち下ろす感じですかね。

こちらは復元された御殿。天守の代わりに建てられていたようです。

西南隅の模擬櫓。
内部は見れない模様。

近世龍野城の敷地の北西に防獣柵と扉があります。
ここから鶏籠山城にアクセスしていきます。

大手道とされる山道を20分ほど歩くと目に入る「削平地」の看板。
曲輪跡だと思われます。

二の丸を構成する曲輪群。
平らに整地されていて、建物があったことが分かります。

主郭南面の石垣。
崩落が進んでいます。

主郭部にあった案内板。

案内板から描いた概略図。
概略図なんでそこんとこ宜しく。

主郭にあった城址碑。
なんか遠慮がち。

主郭跡(本丸)
麓からここまで約30分ほど掛かりました。
大手道とは云え、結構な急斜面なんで息も切れます。

主郭北西隅の石垣。
この城の見所、其の壱です。
400年以上前の遺構にしては綺麗に残ってます。

枯葉に埋まってますが此方も主郭東隅の石垣。

主郭に登るための石段。
こちらも見所です。
鶏籠山城は、赤松氏最後の城主である赤松広英が、総石垣の城に普請し直したとも云われています。
マイナーな城ですが、見所は沢山ありますよ。
不定期にUPしてる「訪城記」、今回はたつの市にある「鶏籠山城」と「龍野城」です。
「鶏籠山城」は置塩赤松氏から分かれた龍野赤松氏が居城。
四代にわたってこの地域を支配していましたが、
天正五年(1577年)四代赤松広英の時に、播磨に侵攻してきた羽柴秀吉に下っています。

龍野橋から見る、鶏籠山。
近世龍野城に到着。昭和に入ってから復元された「埋め門」。
「埋め門」を裏から。攻められても弓矢で打ち下ろす感じですかね。
こちらは復元された御殿。天守の代わりに建てられていたようです。
西南隅の模擬櫓。
内部は見れない模様。
近世龍野城の敷地の北西に防獣柵と扉があります。
ここから鶏籠山城にアクセスしていきます。
大手道とされる山道を20分ほど歩くと目に入る「削平地」の看板。
曲輪跡だと思われます。
二の丸を構成する曲輪群。
平らに整地されていて、建物があったことが分かります。
主郭南面の石垣。
崩落が進んでいます。
主郭部にあった案内板。

案内板から描いた概略図。
概略図なんでそこんとこ宜しく。
主郭にあった城址碑。
なんか遠慮がち。
主郭跡(本丸)
麓からここまで約30分ほど掛かりました。
大手道とは云え、結構な急斜面なんで息も切れます。
主郭北西隅の石垣。
この城の見所、其の壱です。
400年以上前の遺構にしては綺麗に残ってます。
枯葉に埋まってますが此方も主郭東隅の石垣。
主郭に登るための石段。
こちらも見所です。
鶏籠山城は、赤松氏最後の城主である赤松広英が、総石垣の城に普請し直したとも云われています。
マイナーな城ですが、見所は沢山ありますよ。
2017年06月14日
播磨 置塩城
こんばわ。くまけんです。
播磨における城址巡り、一発目は置塩城址です。
中世の播磨守護だった後期赤松氏の居城であり、規模も播磨地域最大です。
初代赤松政則が築城し、五代赤松則房の代に、播磨に侵攻してきた羽柴秀吉に下ってます。
国指定史跡になってはいますが、リニューアルした姫路城の陰に隠れてしまってます。
残念です。
所在地:姫路市夢前町宮置
駐車場:あり
所要時間:約40分

南側から置塩城址がある城山を望む。
標高370mの急峻な山上に城址があります。

登城口に案内板があります。

案内板。

置塩城概略図
あくまで概略図なので正確ではありません。悪しからず。

登城口左側には「お助け杖」がおいてあります。
これが助かるんです。

途中で休憩。
南側の展望が開けています。

石積みが見えてくると城域に近づいてきた証拠。

案内板があります。ここは南曲輪群へ。

南曲輪群の下二段目から、三段目の切岸を望む。
曲輪自体はかなり広く、なにかしらの建物が建っていたと思われます。

各曲輪の高低差はこんな感じ。
まるで崖です。

茶室跡と伝えられている郭。

茶室跡にあった案内図。

南西の曲輪群にある、大石垣
置塩城の見所の一つです。
ただ年月の経過により、崩落の危険があるんだとか。

二の丸西側下の石垣。
こちらも崩落の危険があります。修復する予算つくのかな?

二の丸と三の丸の間に在る「掘割」と呼ばれるスペース。
ここに大門があり、突破されても、侵入してきた軍勢を両側の郭から挟み撃ちに出来るようです。

「掘割」を更に進むと左手に三の丸、右手に二の丸が位置しています。

三の丸
賓客をもてなす館などがあったようです。

二の丸
城主の屋敷が建っていたようです。発掘調査で庭園などがあった事も分かっています。

本丸
城域での最高所で眺望が効きます。
瓦葺の櫓が有ったようで、今も当時の瓦の破片が見つかります。

本丸から南側を望む。

落ちていた瓦の欠片。
400年以上前の遺物だと思えば感慨深いです。
持って帰るのはマナー違反なんで、ちゃんとその場に置いて於きました。

本丸から北側を望む。
築城当時は但馬の山名氏が脅威だったので、北方を重点的に防備したようです。
登城するのに40分。城域を周るのに約一時間掛かりますので
体力と時間に余裕を持った方がよさそうです。