2017年07月03日
播磨 鶏籠山城&龍野城
こんばんわ。くまけんです。
不定期にUPしてる「訪城記」、今回はたつの市にある「鶏籠山城」と「龍野城」です。
「鶏籠山城」は置塩赤松氏から分かれた龍野赤松氏が居城。
四代にわたってこの地域を支配していましたが、
天正五年(1577年)四代赤松広英の時に、播磨に侵攻してきた羽柴秀吉に下っています。

龍野橋から見る、鶏籠山。

近世龍野城に到着。昭和に入ってから復元された「埋め門」。

「埋め門」を裏から。攻められても弓矢で打ち下ろす感じですかね。

こちらは復元された御殿。天守の代わりに建てられていたようです。

西南隅の模擬櫓。
内部は見れない模様。

近世龍野城の敷地の北西に防獣柵と扉があります。
ここから鶏籠山城にアクセスしていきます。

大手道とされる山道を20分ほど歩くと目に入る「削平地」の看板。
曲輪跡だと思われます。

二の丸を構成する曲輪群。
平らに整地されていて、建物があったことが分かります。

主郭南面の石垣。
崩落が進んでいます。

主郭部にあった案内板。

案内板から描いた概略図。
概略図なんでそこんとこ宜しく。

主郭にあった城址碑。
なんか遠慮がち。

主郭跡(本丸)
麓からここまで約30分ほど掛かりました。
大手道とは云え、結構な急斜面なんで息も切れます。

主郭北西隅の石垣。
この城の見所、其の壱です。
400年以上前の遺構にしては綺麗に残ってます。

枯葉に埋まってますが此方も主郭東隅の石垣。

主郭に登るための石段。
こちらも見所です。
鶏籠山城は、赤松氏最後の城主である赤松広英が、総石垣の城に普請し直したとも云われています。
マイナーな城ですが、見所は沢山ありますよ。
不定期にUPしてる「訪城記」、今回はたつの市にある「鶏籠山城」と「龍野城」です。
「鶏籠山城」は置塩赤松氏から分かれた龍野赤松氏が居城。
四代にわたってこの地域を支配していましたが、
天正五年(1577年)四代赤松広英の時に、播磨に侵攻してきた羽柴秀吉に下っています。

龍野橋から見る、鶏籠山。
近世龍野城に到着。昭和に入ってから復元された「埋め門」。
「埋め門」を裏から。攻められても弓矢で打ち下ろす感じですかね。
こちらは復元された御殿。天守の代わりに建てられていたようです。
西南隅の模擬櫓。
内部は見れない模様。
近世龍野城の敷地の北西に防獣柵と扉があります。
ここから鶏籠山城にアクセスしていきます。
大手道とされる山道を20分ほど歩くと目に入る「削平地」の看板。
曲輪跡だと思われます。
二の丸を構成する曲輪群。
平らに整地されていて、建物があったことが分かります。
主郭南面の石垣。
崩落が進んでいます。
主郭部にあった案内板。

案内板から描いた概略図。
概略図なんでそこんとこ宜しく。
主郭にあった城址碑。
なんか遠慮がち。
主郭跡(本丸)
麓からここまで約30分ほど掛かりました。
大手道とは云え、結構な急斜面なんで息も切れます。
主郭北西隅の石垣。
この城の見所、其の壱です。
400年以上前の遺構にしては綺麗に残ってます。
枯葉に埋まってますが此方も主郭東隅の石垣。
主郭に登るための石段。
こちらも見所です。
鶏籠山城は、赤松氏最後の城主である赤松広英が、総石垣の城に普請し直したとも云われています。
マイナーな城ですが、見所は沢山ありますよ。